キャリア研究会:女性のためのネットワーク作り

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活動履歴

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開催報告

開催日 2019年7月24日(水)19:00~21:00
場 所首都圏ソフトウェア協同組合事務局 2F大会議室
会 費2,500円(軽食費込)
テーマ 水銀と仏像~セカンドライフに得たもの~
講 師 北村 光一 木版仏画師(日本版画会会員)
参加者 16名(欠席1名)

 

セミナーの模様

7月24日の講師は、木版仏画師の北村光一さん。
北村さんは、1967年一橋大学卒業後、三菱金属(現三菱マテリアル)に入社。同社副社長、三菱アルミニウム、三菱原子燃料の社長を歴任。この間、木版仏画師としてもご活躍され、2001年から2018年まで東京都美術館日本版画会展で8回入賞されました。

著書に「やさしい仏像の木版画-安らぎの心を彫る」があります。
セミナーの冒頭、72歳の時に肝臓がんを患い、2年後に再発、それから1年半が経つとの告白がありました。現在は体調も良く「すこぶる元気」とのこと。
今回のテーマ「水銀と仏像」について、その関わりと、企業人を卒業後、病気を患って今思うことについて、お話いただきました。
歴史と地理、化学も交え、幅広い知識と教養たっぷりのセミナーです。

趣味と仏像木版画

高校時代から夏になると奈良大和の古寺を廻っていた北村さんは、大学を卒業し、仕事で宮城県の鉱山勤務となりました。偶然にも近くにある涌谷町は、749年に日本で初めて砂金が採れた場所で、聖武天皇が奈良の大仏を造る際、金900両(約13kg)を献上しており、「今になって考えるとこれも何かの縁」と語りました。

30歳になり、奈良に行くことが難しくなったことをきっかけに、趣味で仏像木版画を始められた北村さんは、日本版画会へ出展し、個展なども開催。今年で45年になります。
当初は「企業生活をしながら趣味を続けていくんだな」と思っていたそうですが、勤めを辞めふと振り返ると、「趣味というベースの上に企業生活があったのだ」と感じたようです。

キリリとしたイケメンの東寺の帝釈天、やさしいお顔の薬師寺 東院堂にある聖観音、実物も大変素晴らしいという藤井寺の千手観音、何かを一心に祈る姿が印象的な唐招提寺の鑑真大和上など、北村さんが作られた仏像木版画をいくつかご紹介いただきましたが、どれも吸い込まれるような作品でした。


仏像が金色である理由とその使命

まずは、飛鳥から天平時代の代表的な仏像7体をご紹介いただきました。
このうち、薬師寺の薬師三尊像、深大寺釈迦如来、夢違観音などは金銅仏と言われていますので、金メッキされていたのではと思われます。あとは木製で楠や松などが使われていたようです。
金銅仏が造られた理由は、三十二相八十種好といって、大般若経など経典で定められている仏の姿の中の代表例が「金色相」だからとのこと。
蘇我入鹿が造ったと言われている飛鳥大仏は、日本で初めての金銅仏で、拝観時には自由に撮影できる珍しい大仏なのだとか。
この他、仏像の主な製法もご紹介いただきました。

飛鳥から平安初期の寺院の使命は、宗教ではなく「護国」であったようです。個人の生老病死が対象となるのは、平安時代中期の天台宗の僧、源信の「往生要集」以降ではないかとのことでした。

 

仏像と水銀の関係

「奈良の大仏」でおなじみの東大寺 盧舎那仏は、16メートル。
これを造るのに、錬金146キログラム、水銀820キログラムを使い、作業人員は延べ167万人。当時の日本の人口が600万人といいますから、どれだけ多くの人々が関わったかがわかります。
鋳造した仏像の表面に、水銀:金が5:1で作成したアマルガムを塗り、火で炙ると水銀が蒸発して金のみが残るそうです。しかし、これらの工程で重金属災害や水銀被害が多発。多くの方が命を落とし、当時の奈良の惨状は相当なものだったのではないかと北村さん。
このこともあり、頭部に金メッキを施しただけの状態で752年に開眼供養が成され、この時からお水取りは途絶えることなく、現在も行われています。
これまで、大仏は頭部が落下したり、地震や焼き討ちなどにより炎損しますが、聖武天皇が国を挙げて建立された大仏は、その度に再建されてきました。

「いにしえの奈良の都の八重桜 けふここのえに匂いぬるかな」(詞花集)
「なつきにし奈良の都の荒れゆけば 出で立つごとに嘆きしまさる」(万葉集)

一つ目の和歌にあるように、後世の多くの人は、奈良時代の栄華しか記憶していませんが、二つ目の和歌からは、奈良が廃都と化し惨憺たる状況であったことを伺い知ることができます。
このような状況を当時の人たちは水銀被害とは知る由もなく、「祟り」だと思ったようです。鎌倉時代、江戸時代に再建された大仏殿にのぞき窓があるのは、祟りをさけるために、近くまでは行かず、窓から覗いて手を合わせたのではないかという説もあるようですとのことでした。

水銀について

水銀は金属の中で唯一の液体金属です。沸点は357℃、比重は13.6、1気圧760mmHgで、鉄を浮かし、あらゆる形に変容します。身近では、血圧計や体温計に用いられていますが、エネルギーがゼロで精度100%の物質は水銀だけとのこと。
固体としては、辰砂(硫化水銀)として存在し、砕いた赤い粉を357℃以上で熱すると、気体となり、これを水に戻すと水銀になります。そしてこれを熱すると赤くなり、また気体になる…。このように固体、液体、気体を繰り返す水銀は、中国などでは不死鳥(フェニックス)だと信じられていたのだとか。

水俣病が発生し、条約が施行された現在、日本には水銀鉱山はありませんが、蛍光灯や血圧計、体温計に使用されたり、銅や鉛の精錬所などでも水銀は発生します。
これを国内で唯一廃棄処理しているのは、北海道のイトムカ鉱業所です。
水銀を保管するのは鉄の入れ物。金、銀、銅などは水銀と合成するとアマルガムとなるため、使えないのだそうです。
この「アマルガム」について、初めはピンときませんでしたが、金箔に水銀を落とすと、まるで水銀が金を食べていくかのような映像を拝見し、その不思議な光景に参加者は皆、驚きました。
なぜこのような現象になるのかは、解明されていないとのことでした。

水銀の高貴な輝き

実は、鳥居などに使われている朱色の顔料の多くが「水銀」であることをご存知でしょうか?
先程の固体(辰砂)を潰して顔料にすると大変素晴らしい「朱」となるのだそうです。
アマルガムや顔料については、紀元前2000年頃から人類は既に知っており、古墳などの内側が朱で塗られたり、金メッキされたりしているのだそうです。

この朱を「本朱(ほんあか)」といい、春日大社の式年造替などではこれを使って塗り替えられているそうです。
「朱」は甲骨文字にすると、牛の胴を真二つにして、血液が流れる様を表しており、「丹」は象形文字で、水銀を採る井戸を上から見た形を表し、水銀のことで同じく「朱」を指すそうです。丹頂鶴に「丹」が使われるのは、頭に赤い色があるからとのこと。

水銀は、朱肉、赤ちん、伊勢おしろいにも使用されており、和歌山の漆器「根来塗」が朱いのは、水銀の鉱脈に近かったからという説もあるようです。
増上寺に祀った徳川将軍の遺体保存に朱肉が使用されたり、中国では皇帝の遺体から水銀と朱肉を取ったところ、それまで生きているような肌が空気に触れた途端に、酸化してみるみる崩れていったのだとか。無機水銀には殺菌作用があるようです。
反対に「丹薬(水銀の薬)がなければ、杜甫も古希に気が付かず」とは北村さんの見解。
唐の時代、中国の歴代皇帝21人のうち、6人が不老不死を求めて丹薬で死去しているのだとか。
70歳まで生きることは大変なことだと杜甫が勘違いしたことから「古希」という言葉が生まれたのではないか、とのことでした。

このように、水銀は表裏一体、人類にとって必要であると共に、命を奪う恐ろしい物質でもあります。



日本の風土とその素晴らしさ

北村さんは仏像木版画を造りながら、仏像が造られた背景、顔料など、様々なことを調べるにつれ、日本の素晴らしさに気が付いたと言います。

ところが残念なことに、1956年水俣病が発生し水銀中毒と断定されました。
それから長い時間がかかって、2017年8月16日に水俣条約が発行されましたが、水俣病の鎮魂として発表された石牟礼道子さんの「不知火」を原作として、「沖宮」という新作能が発表されたそうです。
また、大仏殿消失を題材とした能「重衡」「大仏供養」があることも紹介いただきました。
能の世界にも、水銀や大仏に関わる悲劇を鎮魂する演目があることを例に挙げ、日本には不戦の誓いと同時に、不運なさまよえる霊は神社に祀ったり、能を奉納するなどの文化があることを教えてくださいました。

最後にご紹介くださったギタリスト 村治佳織さんの言葉。
「神と仏の心を併せ持つ日本人。キリスト教のお祈りは「天にまします吾等が神よ」で始まる通り、常に神は真上の天におられる。日本ではいつも自然の中に神がいて、私たちの周りを囲んでいてくださる。この日本に生まれてよかったと感じている」

そして、北村さんの「駅のホームできちんと並び、宅配便は時間通りに届けられ、現金書留は普通に届く。道端には自動販売機があり、コンビニの傘立てに傘を置いても盗まれたりしない。そんな国は他にありません。
これも、日本が島国として他国と程良い距離を取って出来上がり、湿気を含んだモンスーンで水が豊かにあり、稲作が始まった。「水」がこの国の原点なのではないか。肝臓がんを患って初めて、この国に生まれて良かったと思っている」という言葉で、セミナーは締めくくられました。


若かりし頃、奈良の古寺散策から始まり、現在も木版仏画師として活躍中の北村さんの根底には、これまでの経験に裏打ちされた広い知識と、優しさという大きな水脈があると感じました。

セミナーの後、素敵なオリジナルのしおりをいただき、皆さん大喜びでした。 ありがとうございました。




キャリア研究会では、今後もいろいろなセミナーやイベントを企画しております。
ご興味、ご都合に合わせ、是非ご参加ください。


受講者の声

   
  • とても興味深いお話でした。仏様(像)が子供の頃とても大好きだったことを思い出しました。奈良の大仏建立の話(遷都の理由)を初めて知り、驚きました。
  • 水銀について、知らないことがあるのだと驚きました。身の回りにあって、大事な役割を果たしている水銀を再認識しました。「日本に生まれてよかった」という言葉が心にひびきました。
  • 知らなかったことを沢山伺うことができて、自分の知識を深めることができました。人柄のわかるやさしいお話ぶりも素敵でした。しおりもありがとうございました。
  • 水銀は悪いものと思っていましたが、そうでないことにおどろきました。歴史や仏像の他に貧困国の話などもあり、大変興味がわきました。

(アンケートより抜粋)

※講師の方の所属及び役職は、開催当時のものです。(敬称略)

 

今後の開催予定は、こちらから